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漬物本舗鳥海の発祥について
漬物本舗鳥海は、もともと旧鳥海味噌の小売部門が独立して誕生しました。
その鳥海味噌ですが、もともとは曽祖父である初代鳥海藤蔵(とうぞう)が興したもので、100年の歴史を持っていました。初代藤蔵は、8歳ごろ茨城県古河市から栃木市に奉公に来ました。当時の話を聞いた人からは、親戚の伯父に連れられ、雪の中を歩いてきたそうで、とても寒かった印象があるそうです。当時の栃木市は、当時の栃木県の主要な会社を記録した「日本博覧絵図」・栃木県版によると、かなりの部分が栃木市の商人で占められているようで、とても栄えていました。
初代藤蔵は当時繁栄していた釜芳(かまよし・砂糖や薪炭業)で奉公することになりました。釜芳は東京などにも支店を持つ、全国規模での商事会社だったそうで、料の字の付く物(食料・燃料)を手広く取り扱っていました。そこで、商才があったのか、早くも二十歳そこそこで番頭になりました。そして支店を栃木市駅前の河合町(かわいちょう)に作りました。ここが鳥海味噌発祥の地です。
釜芳の親戚である釜藤(かまとう)という商家から嫁を貰い、のれん分けという形で初代藤蔵は独立します(当店のマーク「ヤマイゲタ」はもともと釜芳のマーク)。当時は砂糖や薪以外に、お酒を販売していたそうです。当時の移動手段としては巴波川を使った舟運が盛んでしたが、初代藤蔵は当時出来たばかりの鉄道の駅に着目します。人やモノの往来が多くなり、当時の駅前には人力車や馬車が集まりました。現在の駅前交番から学悠館高校のあたりには馬車の御者や人力車を引く人(車力と当時は言っていたそうです)の待機場があり、大勢賑わっていたそうです。この人たちにお酒を販売して、鳥海は業績を拡大します。
次に初代藤蔵は味噌の醸造に注目します。栃木市は地下水が豊富で、しかも良質なこと、さらに周辺で大豆や麦の栽培が盛んなことから、昔から多くの醤油や清酒の製造元がありました。その中で味噌は、農家が自家用に作っていたものが、徐々に専門的に醸造元で作られるようになっていて、当時では新興分野でした。また、仕込んでから商品になるのに時間がかかるので、お金に余裕のある資産家でないと経営できないと言われていました。藤蔵は、木の大樽を3基揃え、味噌の製造に着手します。
当時の事を知る人からは、曾祖母がお店でお酒を売って、曽祖父が味噌の研究に明け暮れていたのが、とても印象的だった、と聞きました。お金がそれほど豊富でないため、大豆など原料を釜芳から調達し、苦しい資金繰りを工夫してしのいでいました。そのうち藤蔵は、味噌の急速醸造法(速醸法)を開発し、それが鳥海味噌の看板商品になりました。その味噌は行列が出来るほど大ヒットしたそうです。当時はぜいたく品だった自転車を購入して、それに配達商品を載せて、配達して回っていたそうで、栃木で最初に自転車を商売につかったのが、曽祖父の自慢だったそうです。
その後、夏場でも売り上げが上がるビールを導入したりして、業績を拡大しました。祖父(2代目藤蔵)の代にはたまり漬けの研究を始めました。
漬物本舗鳥海は、父、佑一の代に、「美味しいたまり漬けをもっとみんなに知ってもらいたい」という母の強い思いから始まりました。以前は足利や宇都宮にも支店を置いていましたが、現在は綱手道店に集約しております。
残念ながら、時代の流れとともに、鳥海味噌は無くなってしまいましたが、当店は創業者のチャレンジ精神を残すべく、旧鳥海味噌の流れを受け継ぎ、味噌やたまり漬けの味を守って、また新しい味の追求を行って参りたいと思います。
店舗概要
| 店舗名 | (有)漬物本舗 鳥海 | |
|---|---|---|
| 代表取締役 | 鳥海 謙司 | |
| 所在地 | 〒328-0015 栃木県栃木市万町9-32 | 交通アクセス |
| 電話番号 | 0282-23-7279 | |
| FAX番号 | 0282-23-7279 | |
| 定休日 | 元旦以外営業 | |
| 資本金 | 300万円 | |
| 事業内容 | 食料品(主に味噌・漬物)・酒類の販売 | |
交通アクセス
栃木駅から徒歩で約15分、蔵の街の大通り沿いに店舗を構えております。

